ボクの、ある遠い知人について書こう。

 彼は、オハイオ州の西部にあるデイトンという街の、寂れた郊外に暮らしている。夏は30度を超えて蒸し暑く、冬にはブリザードが吹き荒れる。けっして住みやすい土地柄ではない。

 今年、42歳になった。二人目のカミさんと、彼女の連れ娘と同居している。そもそもは、超巨大な自動車メーカーに連なる部品工場で働いていた。でも、6年前にレイオフされた。いまは、見習のような大工仕事と、たまに造園業の手伝いをして、食いつないでいる。共働きのカミさんのほうが、収入は少し多い。

 唯一の楽しみは、前のカミさんとの間にできた長男を週末に誘い出して、近くの川に釣りに行くことだ。彼が「いいよ」と言ってくれる時だけだけれど----

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 数年ほど前までの彼は、選挙の折ごとに民主党に漫然と投票してきた。組合の指示があったし、仕事仲間もふつうにそうしてきたからだ。だから8年前の大統領選挙のときは、仲間と一緒にバーに繰り出しておだを上げたものだ。何かしらが変わるかもしれないと、ほのかな期待を抱きつつ。でも、まったく何も変わらなかった。

前回は、投票には行かなかった。つくづく、どうでもいいと思っていた。

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 今年も彼は、投票に行く気はなかった。

選挙のたびに“ホワイト・ノー・ディグリー”と無機質に括られる自分が、もはや立ち入るべき場面ではない、と感じ続けていたからだ。世論調査と呼ばれるものに、編み込まれることなど一切ない自分の意思なんて、どうでもいい、と。

 テレビに写るクリントンは、胸をそらし、顎を突き出して、正論を語るばかりだ。ずっと耳にしてきて、ほとほと聞き飽きた“正論”を、くだくだと。トランプは、耳を疑うほどの“とんでもないこと”どもを、言い散らかすばかりだ。あの赤ら顔には、どうにも付き合いきれない。こんな奴が大統領になるわけなんて、ない。そうも思っていた。

 でも----。トランプのいぎたない言葉の連なりを、何回も、何回も何回も、くどくどと耳にしているうちに、その連なりの奥底に言い知れない熾火のようなものを感じるようになっていた。これは、後出しじゃんけんめいた回想なのだが。

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 選挙の当日。彼はうつうつと投票に出かけた。そして、トランプに一票を投じた。いざ箱に紙を突っ込むときには、ふと鼻をつまんでいたのだけれど。夜遅くにトランプの勝利を知って、こんなことがありうるのか、と息をひそめてひとりごちた。胃の果てのほうから、何かしらおくびのようなものがせせり上がってきて、それを苦く呑み戻す自分がいた。

 しばらくして、気を取り直した。そして、想った。今度の週末は、あいつを釣りに誘おう。いいよ、と言ってくれたらいいのに----

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 選挙の前日、ボクは、NYUやコロンビアの女子学生たちが「クリントンには投票しない!」と叫んでいる姿をテレビで見ていた。当日、トランプが勝ったと知って、うわぁっとでんぐり返しした。周りの若い友人たちからどっちが勝つかと問われて、そりゃあクリントンでしょ、と訳知りに答えてきていたからだ。

このつぶやきを書いているいま、ネットでは、選挙期間中にツイッターやフェイスブックでどれだけ大嘘が語り合われたのか、超激論になっている。トランプが何らかのかたちで関わるビジネスへのボイコット運動も、過熱気味だ。次期陣営構築をめぐる右往左往も、くそ面白くないコミックのように垂れ流されている。だから? ----どう書けばいいんだろう。