米朝首脳会談と称される政治ショーをテレビで斜め聴きしていて、不揃いのメモがいくつか、なけなしの脳味噌を過った。

 ひとつは、両首脳の“演技”ないしは“演出”の背景にまつわる。

 日本および東アジア儒教圏では、「妥協」という言葉は否定的かつ悲観的に響くし、そう扱われる。「あのやろう、妥協しやがって」と。だから逆に、「妥協しないぞ」と意気込む。しかし米語での妥協すなわち「コンプロマイズ」は、肯定的にやり取りされる。「あいつは、コンプロマイズできるやつだ」と。勇猛果敢な美徳と同義なのだ。

 そういう含意に沿うかどうか、懐かしい記憶がある。ボストンで観戦したアイスホッケーの試合でのことだ。

 ある体当たりクラッシュの直後、その当事者同士が殴り合い始めた。これは、ホッケーでならよくあるシーンだ。そして、ふつう日本では、審判が即座に分け入って二人を離し、それぞれをペナルティーボックスにぶち込んで頭を冷やさせる。事態は一旦、そうして治められる。

 しかしボストンで審判がとった行動は、初体験のボクには興味深かった。両チームの他の選手たちを円を描くように退け、二人の乱闘を“囲み観戦”させたのだ。二人は、盛りのついたバッファローのように鼻息を噴き上げつつ3分、いや5分ほども殴り蹴り頭突きし続けた。やり取りがついにスローモーションになった。その頃合いを見て審判は、二人を巧みに引き離した。そして、言ったのさ。「さあ、ホッケーしようぜ!」

(このへんの文脈は、N大のアメフト関係者にこそ読んでほしいなぁ/爆笑)

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 ふたつめ。これは40年ほど前、ある新聞社に出入りしていた頃の記憶だ。それなりの仕事を終え、場所を移してまずはお疲れの一杯となった折、年輩の記者氏が呑み語りしてくれた一端だ。

 社会部の記者は、取材したことを即書く。殺人事件や交通事故などを筆頭に、即が命だ。しかし政治部の記者は、取材したことを即には書かない。たとえば政局がらみでは、動きの先行きを慎重に見定め、頃合いが来たと知れたとき、初めて書く。来なければ、ネタはお蔵入りする。

 だから、社会部純粋育ちの記者が政治部に初異動した折などに、時として難題が勃発する。先輩の政治部デスクが、社会部上がりの若手記者を怒鳴りつけるのだ。「お前、訊いてきたことを即原稿にしやがって、なに考えてるんだ、ど阿呆!」。わけのわからない記者は、目を白黒させつつ、しかしデスクを睨みつける。逆に政治部から社会部への場合でも、似たような局面が変転する。

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 みっつめは、前項の文脈を引きずる。純真華憐な学生だった頃、「日米下田会議」と称される催しの下働きをした折の話だ。

 両国から、それなりの人びとが伊豆の下田に集結して、政治や経済などに関わるさまざまなテーマを闊達に議論し合った。その行間も含めて、浅学な身には畏れ多い内容が時を埋め尽くしていた。しかし、都度、新聞やテレビで報道されるのは、そんな内容の概説だけでしかなかった。不思議に思ったボクは、先輩に問うた。「どうして?」

 彼は、訳知り顔の上から目線でのたもうた。表に出る公式な内容は、議論全体の半分以下なんじゃないか。重要度によるけれど、多くが“密約”扱いされて、水面下にくぐもるのさ。

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 さてはて、首脳会議とやらに戻る。

 今回は、どんな妥協やコンプロマイズが行き交い、公式と非公式が線引きされ、どんな密約が埋め込まれたのだろう。ボクには、その脈や筋は見えない。ただ、ひとつはっきり窺えることがある。いずれにせよ日本は、完全に蚊帳の外、言い換えれば金魚の糞だったという事実だ。もちろん、ボストンでボクがそうだったように、単なる一人の観客にすぎないのだから、極めつけの私見でしかないのだけれど。

 とはいえ、ショーは第二幕に移るのだろう。ショーとは、終わりなきものでもあるのだから。

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PS:蛇足ながら。このブログ、読んでくれてる人なんて誰もいない、と思っていた。だから、月刊の予定が旬刊になり、年刊に堕しかけてもいた。しかし最近、私は読者です、といってくれる人を知った。嬉しかった。よし、頑張ろうと気を入れ直した。まあ月刊は絶対無理だから、隔月刊くらいを目安にね。どうかな?