ある状況下、沈黙し続けることはどう“罪”なのか、深く考えさせてくれる本を読み終えた(『革命前夜』須賀しのぶ著/文春文庫)。
 時は、ベルリンの壁が崩壊する1989年の、年明けから奥深い冬にかけて。東ドイツの古都ドレスデンに留学した日本の青年が、沈黙という名の裏切りに苛まれ苦悩しながらも、ついには一瞬の閃光を心に焼きつけるに至る話なのだけれど----。
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 しかし、だ。まったく異なる状況下では、沈黙とはじつに激烈かつ圧倒的なメッセージになり得ることを知る。
 去る2月14日、バレンタインの日の午後。米国フロリダ州パークランドの高校で、銃乱射事件が起こる。生徒14人と教職員3人が犠牲になる。その惨禍を生き脱した女子高生エマ・ゴンザレスは、3月24日にワシントンで開かれた銃規制デモ「命のための行進」に身を運び、会場で次のようにふるまう。
 演壇に立ち、「カーメンは、もう二度と、嫌がっていたピアノの練習に文句を言えない。アレックスは、もう二度と、親しかった兄弟と登校することはできない----」と17人の名を順に刻んだ後、なんと6分20秒もの間、ただひたすら壇上に立ち尽くし、長い沈黙に身を任せたのだ。しばし鎮まった会場は、徐々に「ネバー・アゲイン」という哀声に包まれていった。
 スマホを開いて、「エマ・ゴンザレス」と入力すれば、ビデオに立ち至れる。彼女が沈黙し続けた想いの根っこを、ご確認いただきたい。「米国の社会運動史上、最も崇高な沈黙」と評された含意を。嘆き、叫び、わめくことのみが意思を表明する手立てではない、ということを。
ちなみに6分20秒とは、銃が撃ち続けられ生徒や教職員が殺戮され、人びとが逃げ惑った時間に相当する。
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『革命前夜』が描いた時代からさかのぼること20年。1960年代末のチェコスロバキアでは、「亡命の論理」と称されるもの言いが、哀しくも引き裂かれた人びとと、彼らに共通する沈黙の想いを、交差させていた。
 委細は省くが、混乱と不安が掻き乱れる社会状況下、それが可能な人びとの一端は身をすぼめながら祖国を捨て、未知なる国へと亡命していったのだった。可能な人びととは、政府の旧要人、思索家、学者や文化人など、国境を超える“権利”を手にし得た人びとを指す。
 彼らは、「外に出たうえで母国を見守り、その再起にあらゆる手を差し伸べる」と意思していた。しかし実際は、たやすく意思を貫けるような状況を導けなかった。
 他方で、同じような権利を持ちながらも、「国に止まって、できることを為す」と意思する人びともいた。彼らは、亡命せずに、内なる苦闘に身を添えた。打ちひしがれつつ生き、生きつつ苦しみ続けた。
 ありていに書けば、国を出た人と残った人は、いわば引き裂かれた。引き裂かれたのだけれど、意思するという語感に反して彼らのほとんどは、ともに多くを語らず、“沈黙”を守った。嘆かず、叫ばず、わめかず。そうしつつ20年という歳月を背負い、ついに意思をかたちに導いていった。1964年東京五輪の女子体操で金メダルに輝き、日本でも有名になったチャフラフスカさんの“その後”を追うだけで、事実の仔細を胸に刻める。
 もちろん、そんな“権利”などとはほど遠い絶対多数の人びとこそ沈黙の源泉だったという厳実は、このブログの文脈ゆえに留保する。
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 沈黙といっても、様相は様々だ。自ら選ぶ沈黙。強制される沈黙----。日本というこの国の、なんともグロテスクな2018年のいま、ボクの視野にあるのは、状況から逃れようとあがく陳腐で卑劣な沈黙の襞なのだが。