そう遠くない昔、1970年前後の昭和歌謡の時代を担った由紀さおりさんについて、触れたことがある。「私の唄は、街じゅうに流れていたのよ」という彼女のつぶやきをめぐって。

 確かに、いまよりははるかに限られていた売れっ子歌手の流行り唄は、商店街の電器屋や八百屋や中華そば屋の店先から通りにそそぎ出て、圧倒的な存在ではあった。ある時点で区切れば、どこでも同じ唄が流れていた。それが、時代を彩る様式だったのだ。いまよりは数多かったテレビの歌番組でも、ことは似ていたと想う。

「演歌の女王」「巨星、落つ」とまで報じられた八代亜紀さんも、由紀さんとは数年ずれるのだが、1970年代半ば以降の主役として人びとに彩りを届け続けた。「もう一度逢いたい」(76年)、「舟歌」(79年)、「雨の慕情」(80年)-----。演歌を口ずさむとフォーク調になってしまい、「お前、それでエーンカ? 恥をさらすな!」と誹られていたボクが八代節に馴染むことはなかったけれど、あのハスキーな歌声は、ボクの30歳代の伴走者でもあった。

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「街じゅうに」という文脈は、情報の総量が少なかった昭和という時代だからこそ、成立したものだったと想う。言うまでもなく、YouTubeXFacebookなどは影も形もなかった。そのかわり、地上波のテレビやラジオが大手を振っていた時代だ。やや専門面すると、少数のメディアが多数の人びとを支配していた。加えて、メディアと人びとは極めて単純な一本づつの線で結ばれていた。

 しかし、情報の総量が爆発的に増え、多数のメディアが少数で区切られる人びとと複雑かつ網の目のように関係し合ういま(こんなもの言いは、鶏が先か卵が先かの議論に通じるのだが)、「街じゅうに現象」は限りなく生じ難くなっている。「文化の多様化」と一言でまとめるのは、安易な書き方にすぎるのだけれど。

 つまり昭和とは、「少ない×単純」な構図の下で成立していた。だから、物(クルマ)やもの(唄)が、突出し際立って存在しえた。逆に「多い×複雑」ないまは、物やものはある意味で曖昧にしか存在しえない。「blur≒ぼけてる、不鮮明」という時代語が、ボクの観察地・アメリカでも多用されている。状況は、とっくに国境を超えているのだ。

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 ぐふぅ。難しいことを、わかりもせずに、より難しく語る砂川肇-----。これ、ボクが自分に向けた、もちろん自虐のニックネームなのだけれど、よくそれで、禄を食んでこれたなぁ。このブログも限りなく同じ穴の狢だ。スンマセン(汗、汗)

 でもね。「多い×複雑」な時代に生かされている若者たちの一部が、いま、昭和という「少ない×単純」な時代性に新鮮なノスタルジーを抱いてくれているという現象は、嬉しい限りだ。ボクは、そう感じている。「多い×複雑」な状況は人びとを強かに疲れさせている。反面、「少ない×単純」なそれは人びとに、安らぎ、落ち着き、優しさ-----を運び届けうる。

 八代亜紀という唄い手は、そういうニュアンスを人びとの合い間に沁み込ませてきた偉人だったんじゃないのかな。

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 かなり衰えているけれど、ボクの記憶がなにほどか正しければ、50年ほど前のあの時代、幼稚園児までが「雨々ふれふれ」と頭上に手をかざしていたはずだ。「お酒はぬるめの燗がいい」などとしたり顔でやって、老若男女が集う食事の席を沸かせていたかもしれない。

 でも、そういう時代相は-----やっぱり、遥か遠くになりにけり、なのかなあ? 八代さん、どう思う?