時どき以上に品位に欠け、ほぼ何の意味もないこのブログ。一応は“月刊”を謳っているのだけれど、つねに遅延気味。ましてや今般は、季刊以下のスケジュールに後退してしまった。おマエがサボった? とんでもない。サイトそのものが機能不全だったのさ。

 理由? それが不明。おそらくサイトの主が激ナニ系のコンテンツをコソっと覗いた結果、極めて悪質なウィルスにやられたか、あるいは訳知りに何かを大声でホザいて巷からの総攻撃に遭い、炎上しちまったのか。

 まあとにかく約6 か月を経て、修復工事が完了したらしい。ということで、じつに半年ぶりに第58号をお届けする。ああ、この間の精神的苦痛ったらなかった。書きたいのに、書いても、載せられない! 請求すべき慰謝料、ハウ・マッチにしたらいいんだろう?

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 今回のハイライトは、まさに極私情報になる。乞うお許し。411日に、本を出した。『アイデア・エコノミー』(宣伝会議・刊)。ちょうど35年になるアメリカ観察の一端を、粗くまとめた内容だ。小保方さんよりはかなり多めだろう、300冊ほどの取材・分析ノートに立ち返って、“考え方(アイデア)経済”と命名すべき文脈につづりなおした。

 出したい! と意を決してから足かけ3年。指をなめ、手を棒にし、脳味噌を擦りこぎながらの前進だった(この、大げさ野郎!)。いや本当に、これが3040代だったらもっと楽な作業ではあったはずなのだ。しかし60代も後半になると、トホホ-----

 さて。本に書いた内容をここで蒸し返すのでは、芸がない。だから、書いた文脈のサイド・ストーリーをほんのちょっとずつ掘り返して、ご紹介する。面白いと思ったら、(ここは、小さい声で)本も読んでね-----と、これ、まさに販促活動なんだけれど。まあ、そのへんは、御心やさしくと願い上げつつ----。(コノヤロウだよね。は・ん・そ・く・活動って入力したら、まずは反則活動と出てきやがった。このっ!)

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 ということで、35年前の、つまり1978年のアメリカでは----。ボクのノートに従う限り、“寿司”がブームになっていた。それがsushiと表記され口語になり、すなわち日本語がそのまま米語に転じていったとば口が“すし”だったわけだ。その後、futonshojihashisashimisurimiなどがどんどん新規参入して、今日に至っている。

 ちなみに、かの国の食の歴史を辿りなおすと、寿司に次いでブームになったのは80年の“ヌーベル・キュイジーヌ”。83年には“テックス・メックス”が台頭し、85年には“ケイジャン”がオラオラっと歩道の人びとを蹴散らかしていた。(それぞれのカタカナ語が意味不明? スンマセン。ここで各々を解説すると大論文になってしまうので。グーグルで、調べて!)

 本にも書いたけれど、87年のバブル崩壊に立ち至る軌跡は、言いかえれば“何でもあり”の路線だった。でも、アメリカの原風景に立ち戻る視線も、そこはかとなく潜んではいたのだ。

 次いで25年前の1988年は、バブルの崩壊を経た“反省するアメリカ”の様相だった。だから、たとえば新進女性誌の『サヴィー』はその年の3月号で、「昇進ばかりが夢じゃない」という特集を組んでいた。内容は? 成功の再定義が必要、キャリアを求め過ぎて何かを失っていないか、とにかく状況に柔軟な対応を-----といった具合だった。

 バブルのあおりで“チャンスらしきもの”を一瞬、垣間見た女性たちは、その崩壊とともにいい意味で目覚め、冷静さを取り戻していった。巷では“アーシー・フード”、すなわち“お百姓さんの気持ちがこもった、土の香りがする食べ物”が鎮かな共感を育んでいた。

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 少なからず元気を取り戻した1998年のアメリカでは、“カジュアル”という言葉であり実態が人びとを支えていた。いま、これを書いている1451日の日本では、何度目かの“クールビズ”が初日らしい。だが、アメリカではすでに98年の1月、「全米で4000万人が、仕事でカジュアルウェアを許されている」と報じられて、クールな生き方を地道に進めつつあった。日本では省エネのための“冷却”、アメリカでは本来的に“ゆたか”に生きるための“格好よさ”-----。時間軸が異なるから単純比較は違反なのだけれど、でも“クール”という表現のひだに潜む想いの違いは、なぜだろう、気になるんだなあ。

 それよりも、クールビズへのボクの目線は否定的に響く? だって、1年中クールしちゃってる身からすると、「じゃあ逆にネクタイでも締めたろか!」ってことになっちゃうんだもの。

 そして、例の“リーマン・ショック”に見舞われた5年前の2008年は? たとえばその驚き冷めやらぬ11月、“みんな、家で楽しもう(stay-at-home)経済”なんてことが囁かれていた。外食なんか止めて家で料理を、パーティも家でやるからこそ実直な交流につながる-----てな感じかな。これ、当時の日本にも共通してた現象。アメリカでは、いつぞや聞いたように、古き良き時代への郷愁、家族や友だちと肩の力を抜いて楽しみあう、といった地口が行き交っていたんだけれど。いわば、アメリカ絶頂時代だった1950年代への懐古。

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 じゃあ2014年のいま、ボクがなにを見ているかって? ふーむ。本に書かなかったことで言えば-----立ちションを警告する尿飛沫検知器なんて、不可思議だよね。これ、まじめな話し。アトランタの交通局が、駅のエレベーター周りに設置していて、検知し次第、近くにいる警察官に通報される仕組みだ。

 でも、さ。ナニしてる途中に駆け付けられればいいけれど、逃げちゃったら意味ないよね。と考えていたら、当局が居直った。なるべく、その最中に駆け付ける! 男は簡単には止められない! 逃げても、カメラが視認しているから、後日の逮捕が可能だ!

 べつに深い謎はないけど、こういうおバカなアメリカ、ボクはけっして嫌いじゃないんだ。